「好きな本」シリーズで書こうと思ったのですが、「本」というより「ジャンル」になるかな?と思い別枠にしました。
三国志との出会いは思い出せないほど小さい頃だと思います。
兄が横山光輝さんの三国志の漫画を買ってて家にあったので、字が読めない頃から見ていたんじゃないかな?
小学生の頃には学校に三国志の漫画を持っていって皆に読ませていました。担任の先生にグーで殴られた記憶があります。
小学生の高学年くらいから漫画以外を読み始めて、有名どころは大体読んだかなと思います。同じ本も何度も読みましたしね。
陳寿による「(正史)三国志」、羅漢中(によるとされる)の「三国志通俗演義」、三国演義の決定版とも言われる「毛宗崗本」など。
蜀が中国を統一するという周大荒の「反三国志」なんかも読みましたね。あれも面白かったですね。
ここでは自分の三国志に対する想いや考えを書くだけなので、かなりまとまりのない記事になるかな~と思います。
三国志に関する知識はそれほど深いわけではないし、古い記憶を引っ張り出して書いてるので間違ったことも書くと思います。ご了承ください。
正史・三国志
三国志という言葉の通り三国の君主がそれぞれ皇帝を名乗ってたので、それぞれを正統とする歴史書があります。
「魏書」「蜀書」「呉書」の3つですね。
で、それぞれが「自分のところが正しい」と主張するために、都合のいいように歴史が書き換えられてるんですね。
陳寿はそれらの辻褄の合わないのを集めて無理やり辻褄が合うようにしたわけです。
中国の正史には二十四史だか二十六史だかありますが、三国志以外は全て必ず「史」または「書」が付いています。
「史記」とか「後漢書」とか「明史」とかとか。
で、「志」という言葉には「物語」という意味があるそうです。
陳寿が自分の編纂した歴史書に「三国志」とつけざるを得なかったのには諦めがあったのかな?もう訳が分からないよ~…と。
正史と言っても書いてることが事実であるわけではないんですけどね。新しい王朝は必ず旧い王朝を悪く言います。当たり前ですけど。
じゃなきゃ易姓革命の大義がなくなりますもんね。
それでも正史はとりあえず「これが正しい歴史なんだ」という真実を差し出してくれるわけです。事実はまた別の物語。勝てば官軍。
ですが三国時代に関しては三国にそれぞれ皇帝が立ち、それぞれが「これが正しい歴史なんだ!」と言っているわけで混乱しちゃうんです。
さらにややこしくしてるのが、その三国のうちの一国が統一したわけじゃなく、魏から禅譲を受けた晋が統一してるところですね。
魏が統一したのであれば「蜀書」と「呉書」は無かったことにすれば良いだけです。でもそうはならなかった。
陳寿は晋の臣ですが(ダジャレじゃないです)、元は漢に仕えていました。
そこのところも陳寿の心情としては厄介だったでしょうね。
晋の前身である魏のことを悪く書くのはちょっと問題あるし、かといって漢のことを悪く書くのもイヤだな~と。知らないけど。
呉の存在感が薄くなるのは仕方ないですね…。三国の中では一番長く生き残ったのに。立ち位置も微妙だし。
呉には中華を統一するという意思はなかったように思えます。ここが魏や蜀と大きく違うところですね。
時には魏に付き蜀と争い、時には蜀に付き魏をしのぐ。そうして上手く勢力を維持していました。外交が上手ですね。
諸葛亮が劉備に提案した(大して目新しくもない)「天下三分の計」を一番体現してたのは呉でしょうね。(天下三分の計は、400年くらい前?に蒯通が韓信に進言してますね。諸葛亮はそれを当時の状況に当てはめたに過ぎません)
野心がなかったからこそ、一番長生きできたんですね。
ちょっと話が変わりますが、「魏志倭人伝」というのを学校で習ったと思います。でも「魏志倭人伝」というのは存在しません。通称というか略称ですね。
正確には「魏書 烏丸鮮卑東夷伝倭人条」です(昔読んだ本では「魏書 東夷伝倭人の項」と書かれていたけど)。
たくさんいる異民族のうちの一つにしか過ぎない倭人に「伝」が作られるはずもなく…。
「魏志」というのもおかしなものです。自らを正統だとする史書に「魏志」なんてつけるはずがありませんよね。
「志」と「書」では大きな違いがあります。些末なことではないんですけどね。
今の教科書はどうなってるのかな?直ってると良いんですけどね。「魏志倭人伝」と聞くと今でもなんかモヤモヤします…。
三国演義
「三国志演義」か「三国演義」か。
昔読んだ本では「三国志演義なんてものは存在しない」というような事が書いてありましたね。
その時の印象が今でも強く残ってるので、ここでは「三国演義」で統一します。
一般的に「三国志」と言った場合、こちらを指して言う人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
張飛の字は?と訊くと、大抵は「翼徳」って言うでしょうし。(正史では「益徳」です。ちょっとマニアックかな?)
三国演義は中国の四大奇書の一つです。他の三つは、「西遊記」「水滸伝」「金瓶梅」です。(金瓶梅は水滸伝の派生なので水滸伝に含めちゃえば良いのに、とも思いますが)
西遊記も水滸伝も有名ですね。でも孫悟空に関しては西遊記ではなくドラゴンボールのイメージの方が強いかな?
「演義」というのは、何て言うのかな、口語で伝えられてきた物語、みたいな感じでしょうか。
昔、庶民は読み書きなんて普通はできませんでした。今の日本の識字率は異常に高いですが、海外ではいまだにそれほどでもありませんしね。選挙で候補者の名前を書くのは日本だけだし。
だからこそ吟遊詩人のような人たちがいたんですね。歴史は叙事詩として伝えられます。詩にすることで覚えやすく、伝えやすくなります。
三国演義もそういった、主に民間で語り継がれてきた話をまとめたものになります。もちろんそのままだと脚色がひどくて、正史をもとに整合性をもたせる作業が必要になるのですが。
ということで「三国演義」はあくまで歴史小説です。歴史書ではないんですね。
基本的には三国演義は羅漢中の「三国志通俗演義」のことを言います。それを基にしたものはたくさんあるでしょうけどね。
封神演義のようなファンタジー要素はほとんどなく、史実に基づいて、かつ面白く読みやすく書かれています。
とは言え、脚色は多いですけどね。例を挙げるとキリがないのでやめておきますけど。
でも正史はやっぱり読みにくいですからね。時系列で書かれている演義の方が三国時代を知るには良いかもしれません。
物語の核になるのは、前半は劉備と曹操、後半は諸葛亮と司馬懿でしょうか。
前半のクライマックスは赤壁、後半は五丈原かな。
よく言われるのは、劉備が善玉、曹操が悪玉。自分は曹操の方が好きなんですけどね~。
堕落しきって汚職だらけの漢王朝を助けよう・復興しようと言う劉備よりも、その漢王朝を倒して民のために新しい時代を作るんだと言ってる曹操の方が魅力的だと思うんですけど…。
劉備の人気が高いのは、蜀で善政を行っていたからと言われてますね。それで評判が良かったと。
別に曹操が悪政を敷いてたなんてどこにも書いてないんですけどね。魏の国民は曹操の政治に満足してたみたいですし。実際のところは分かりませんけど。
劉備はどうも詐欺師の匂いがするんですよね…。ほぼ裸一貫で挙兵してハッタリだけで皇帝までのし上がったのは凄いの一言ですけど。
本当に姓が劉なのかも怪しいですけどね。漢王朝が長かったんで劉姓も多いからそこは本当かもしれませんが。
政治家(いろんな意味で)としては超一流だったんでしょう。
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」。これは秦末期の反乱軍の将である陳勝が言った言葉です。
王侯も将軍も宰相も結局は自分たちと何も違わない。実力と運があれば自分たちだってなれるんだぞ、と。
漢王朝の高祖・劉邦も町のごろつきから皇帝になってますしね。こういうサクセスストーリー?はウケるんでしょうね。
曹操の方はあまり良い書かれ方はしていませんね。
演義の中に曹操の性格、というか思考?を端的に表したエピソードがあります。
董卓の暗殺に失敗して陳宮と一緒に逃げてるとき、ある家族に一晩匿ってもらったことがあります。
朝になってその家を出たのですが、少し進んでから、泊めてもらった家に曹操だけが一旦戻り、その匿ってくれた家族を皆殺しにしたと。
それを聞いた陳宮が、なぜそんな事をしたのかを曹操に問うと、曹操はその家族が董卓側に密告する可能性があるから殺したと言い、続けてこう言いました。
「俺が言う事は正しい。俺が為すことも正しい。俺が天下に背こうとも、天下の民が俺に背くことは許さん」(みたいな感じ)と。
ちょっとひどい書き方ですよね~。そんな人ではないと思うんですけど…。知りませんけどね。
毛宗崗本では多少違った書かれ方をしていたかな?あまりよく覚えてませんが。
こちらでは曹操が周の文王を倣って漢に忠誠を尽くすというような事が書かれていたと思います。
ただそこには「自分の後の世代で漢にとって代わる」という意味もあると思います。
周の文王は主君である商の受王(殷の紂王)よりも勢力は大きかったのですが、それでも受王に忠誠を誓っていました。表向きだけかもしれませんが。
そして次の代の武王によって受王は討たれ、周王朝が建国されました。
形としては同じですね。曹操が魏の基礎を作り、曹丕が漢の皇帝より禅譲を受け魏王朝を建国しました。
曹操は後世での評価を気にしていたのかな?そう考えるととても人間くさくて好感もてますよね?
あと曹操は人の使い方に長けていました。臣下に対しては「疑ったら使うな。使ったら疑うな」を徹底していたと思います。上司にしたいですよね。曹操が自分の部下を疑う事ってほとんどなかったんじゃないでしょうか。
ということで?、自分は劉備と曹操でいったら断然曹操派ですね~。ちなみに好きな武将は張遼文遠です。
三国志のゲーム
日本人の三国志好きは中国人以上と言われますね。
書籍だけではなく、ゲームも色々と出ていますよね。
まあ、基本はコーエーですよね。シミュレーションの「三國志」と、アクションの「真・三國無双」。両方とも「国 」ではなく「國」の字を使ってます。
シミュレーションの方が古くからありましたけど、爆発的に人気が出たのは「真・三國無双」でしょうか。
「無双する」なんていう言葉も使われるようになりましたしね。
ちなみに「三國無双」という言葉は「国士無双」からきてるんでしょうね。劉邦の臣下の韓信がこう呼ばれました。国に二人といない優れた人、というような意味です。麻雀じゃないです。
「三國志」は11くらいまではやってたかな?今は14まで出てるみたいですね。久しぶりにやろうかな~。
弱小勢力で始めて強い武将を引き抜いていくのが面白いですね。絶対に引き抜けない武将も多いですけど、最初の頃の作品は関係なく引き抜けたような…。
一番面白いのは最初ですよね。終盤になると消化試合になっちゃうし。そこで飽きてしまうのでクリアしたことって意外と少ないかも。
あと面白いのは新武将の登録ですね。自分で好きな名前をつけて能力値を割り振れるやつ。
いつの作品からか忘れましたが、実際にいた有名な人の名前を入れると隠し武将的な感じでちゃんと能力も反映されたのが出てくるようになりましたね。
呂尚(太公望)や嬴政(始皇帝)、楽毅(中山、燕の名将)、呉起(呉子)、孫武(孫子)、劉邦(漢の高祖)、項籍(項羽、劉邦のライバル)、韓信などなど。
そういうので一つの勢力を作って遊ぶのも面白かったですね~。やりたくなってきたな…。
「真・三國無双」は5くらいまでやったかな。
最初は本当に感動しました。戦場を縦横無尽に動き回れる。これのためにプレステ2を買いましたね~。
1作目、2作目はやりこんだな~。でもなんか徐々に方向性がおかしくなってきてて…。
なぜか女性キャラが増えてきたんですよね。大喬と小喬なんかも出てきて。せめてどっちかだけでいいじゃん。
三国演義では武将として出てきたのは唯一祝融くらいだったと思いますけどね。それは横山光輝の三国志だったかな?
三国志のコアなファンは「ちょっと…」という感じだったんじゃないでしょうか。
ということで「真・三國無双」シリーズはもうやらないと思います。
なんかサラっと書くつもりが結構長くなったのでここらで止めておきます。
ここまで書いておいてなんですが、個人的には三国時代よりも春秋戦国時代の方が好きです。
ですがそれは別の話。また別のときに書くことにします。
コメント