みなさんは鈴木光司さんの「リング」シリーズをご存じでしょうか。
くる~、きっとくる~ってやつです。
原作を読んでなくても映画は見てる人は多いんじゃないかな?和製ホラーの代名詞みたいなものですしね。
そのリングシリーズの中で私が一番好きなのが、3作目にしてシリーズの完結編であるこちら。
「ループ」。
「リング」「らせん」に続いて「ループ」。題名も統一されてて良いですね。輪っか。
リングシリーズの中では唯一映画化されてないので、もしかしたら知らない人も多いかもしれないですね。
映像化がなぜ難しいのかは読んだ人ならすぐに分かると思います。
最初から物語のネタバレになってしまいますからね。
「あれ?この人、あっちの作品のあの人だよね?どういう事?もしかして…」みたいな。
この本の最大のトリックは本だからこそ可能なんですよね。
今更ですが、この「好きな本」シリーズではネタバレはしません。あらすじも書く気はありません。
もし読んでない人がいたら「かなり」迷惑ですしね。
「リング」や「らせん」ももちろん面白くて好きです。純粋なホラーですよね。
でも「ループ」は、なんて言うのかな、私にとっては前の2作と比べてもこちらの方が断然怖かったです。
「怖い」の質が違いますけどね。
前の2作は純粋に「死に対する恐怖」ですが…、こちらは「アイデンティティが崩壊する恐怖」とでも言えばいいのかな?
自分が本当はどういう存在なのか。それを確かめる術なんて無いんです。
この作品の主人公に関わることだけではなく、我々すべてに関わることです。
あなたは本当に、そこに、その時間に、その姿で、存在していますか?それを「自分に対して」証明できますか?
あなたの目の前にいる人は、本当にそこに存在していますか?
これに類似した作品はたくさんあると思います。
そういう作品を見る(読む)たびに考えてしまいます。
以前、老人ホームの薬のセットを担当していたときのことですが、ある入居者の方が誰もいないところに向かって話しかけていました。
すでに亡くなった旦那さんがそこにいたみたいです。まあ幻覚ですね。
ただ、それは「我々」にとっては「幻覚」ですが、「当人」にとっては「真実」です。事実かどうかは関係ありません。
「我々」が我々のことを「まとも」だと思っている(思い込んでる)からこそ、そのことを「幻覚」だと言ってるにすぎません。
そこの看護師さんとも話しましたね。「本当にまともなのはこっちなんでしょうかね?それともあの人なんでしょうかね?」と。
自分が見ているものが「事実」である保証なんてどこにもないんです。それが自分にとって「真実」であるだけで。
自分が「まとも」かどうかなんて「絶対に」分かりません。「絶対に」です。
ただ我々は自分の目に映るものを「事実」だという前提で生きているだけです。
なんか話が逸れました。
でもなんとなく「ループ」の怖さの質を分かってくれたでしょうか?
まあどんな作品も読み手によって受け取り方が全然違いますしね。
あくまで自分はそういう恐怖を感じたということです。
でも読んだ後はスッキリすると思いますよ。
なんで「呪いのビデオ」を見るだけで人が死んでしまうのか。そういう世界がなぜ存在していたのか。
そういう事についての答えが出てますから。
そしてやっぱり考えるんです。
「この世界はどっちなんだろうか?」って。
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